2004/04月の業務連絡

年金

あー、実は私も年金滞納しておりました。えー・・・ちょっとしたケアレスミスですね。勤め人じゃ無かった頃なんですがね。どういうわけでしょうか・・あー福田さんもですか。いやー奇遇ですねぇ。おやおや、竹中さんもでしたか、いつか某ダイヤ主水社の今は無きエグゼクチブてーな雑誌の取材でお会いしたときは、それはそれは初々しくてらっしゃって、それが、もう、すっかり。。たくましくなられて。

政治家というのも言ってみれば勤め人とは違いますからな、しかたないですよ、ほほほほ、いやいや、ついね、忘れちゃったわけじゃないんですがねぇ。まぁ私の場合政治家では無いんで、払いたくても無い袖振れないって時もありましたが。いやいや、なかなかどうして、詳細は記憶にございませんよね、当然ですよ、んなもん。

まぁ言い訳がましいようですが、年金というのは払ってなければ貰いが少ないわけで、今後少子化が厳しくなるご時世、未来の子供らに負担をかけまい!という親心というんですかね、まぁそういった・・・自分で言うのも何ですが、崇高な考えが無かった訳ではけして無いとは言えない事も無くは無いと言えない事も無いわけでしてねぇ、え?、議員さんであれば議員年金というのもある、ほほほうそれはうらやましいですな。するってぇと、少しくらい払わなくても、そうそう「貰いが少ない」って事は無いのでつか?。(以下見苦しいので略)

ゆとり競争

うちの子の学校はそんなことないけども、最近の小学校で『徒競走』が変、だそうで、事前にタイム計って同じ位の速さの子を集めてグループにしてみたり、順位の旗が無かったり、酷いのになるとゴール前で一旦止まってお手手繋いでゴール!!だとよ。ひでぇもんだね。平等の拡大解釈目白押しだ。

「事前にタイム計ってって・・・一番遅いグループでゲッポな子は救いようがないじゃないか」とか「順位が明確じゃなきゃ負けたら次がんばる気力が無くなる」とか、「みんなで一緒にゴールじゃ足の速い子にとっては逆差別だろう」とかいう素朴で牧歌的な『反発』で済ませてよいのかな。もっと怖い事だと思うのだけれど。

近代国家への移行期唱えられたのは「結果の平等」ではなくて「機会の平等」だ。
徒競走で言えば、同じスタートラインに立ち、同じ「合図」でスタートし同じ距離走る事が平等という事だ。

そして、この徒競走の結果、たとえ順位が劣ったとしても、キリスト教的立場にある人の場合は「神の前で人間(但し信者に限る)は人格としてすべからく平等」であるから、徒競走でゲッポになったからって人間として劣っているわけではけして無いと考える。それを信じている(あたりまえだ信者だもの)からこそ思う存分力を発揮して戦えるわけだし。

つまり、結果まで平等にしてしまおう、という考えは、世界中探しても非常に珍しく、「日本独自の教え」なのである。それが最近出てきた。

いわば新興哲学だ。そうした新興の哲学を義務教育たる小学校で刷り込まれている。どういう結果を産むかも分からずにだ。

誰かが提唱し、多くの批判を浴びた後成熟した哲学として『結果の平等こそ真の平等』という理論が確立したのなら、<その実践としての国家体制を作り上げる為義務教育に盛り込む>のは別に悪い事とは思いません。私は嫌だけど。

しかし、今 これを行っているのは現場の判断なわけだろう。どうなっているのだ?本当にいいのかこれで。

野々村家

「世界不思議発見」(by この木何の木気になる企業) が打ち切られた後の 野々村真一家の行く末が気になって眠れない。

塊魂

塊魂にはまって数日。3つのエターナルも制覇。
エターナルとは: ってか、塊魂ってのは「腸簡単に言えば」糞ころがしゲーです。玉を転がして、多きくする。始めはあまり大きなモンはくっつかないからちいさいものから少しずつ大きなものを真紀子んで、制限時間内にでっかい糞、じゃなくて塊を作ればクリアってゲームなんだけども。
その塊が『とっても大きい』とごほうびとして「制限時間無し」でいつまでも巻き込めませてくれる、そ れ が エターナルステージ。

制限時間内であたふたやっている時は、「あぁ制限時間さえなければ」と思う。エターナルを手に入れた時、「すごくうれしい」

ところが・・・・

実際その制限時間無しステージをやってるとだな。。。… むなしいのだ。あぁ自由って不自由!みたいな。生き甲斐が無い、みたいな。
特に最後のステージ、しまいには「大地」「雲」「ハリケーン」悉く巻き込める。始めは楽しい。しかしだな、終わりがこない。しまいに「水平線まで続く海」だけになる。そこをただひたすらごろごろと彷徨う。水平線の果てに霞がかかった「境界」があるのだが、そこを突き抜けても何も変わらない。やっぱし海が広がるだけだ。こんなものを手に入れたくてがんばったのか、俺は。

ふ。
むなしい。
なによりゲームで無駄になった時間がむなしい。

テレビゲームをやっていて辛いのはクリアした後だと思う。どんな良く出来たゲームも、この「終わった後のなんともいえねー虚しさ」が多かれ少なかれある。大好きだった「ゼルダ」もそうだった。良く出来たゲームほどこのむなしさが大きいようだ。満足感より虚しさが勝ってしまう。これはなんなんだろう?このへんが解ると、ゲームの不振に光明が当たるような気がする。

ウォッシュレットの極意

ウォッシュレットで尻を洗うとき
しりの穴をすぼめるべきなのか広げるべきなのかいつも悩む。

くれよんしんちゃん