2007/01月の業務連絡

VISTA

今日、VISTAが発売されたようです。

ここ数週間、窓関連のCFの嵐、提供番組の多さ、すごかった。あの林檎のくそさむい漫才CF(いい加減やめればいいのに)が霞むくらいの勢いでした。

今、言いたいのは、VISTAの売り上げがどうこう、ということではありません。所詮VISTAの敵は林檎でもLINUXでもなく「ウィンドウズXP」であり、窓の手中にあるのだから。本気で売りたければ体のいいところでXPのサポート打ち切れば良いだけの話だ。

VISTAの発売が迫り、TVCFが増え、家電量販店は儲けに走り、PCメーカーも生産が追いつかない、こういう図式は経済の鏡と言えるべき、深く考えなくて良い健全な動きなんだから、どんどんやればよい。

たとえば、最近、よく見る「やづや」という健康食品メーカーのCMがある。
やづや が売れる。CF増える。放送局もうれしい。大滝秀治さんもうれしい。 CF作る広告代理店もうれしい。小売店もうれしい。

図式としてVISTAや林檎が売れるのとなんら変わりないのである。

で、唐突だが、"Google" という企業がある。ネットをやっているなら誰もが知っている。さて、GoogleのCFを見たことがある人は・・・

いますか?

いまやマイクロソフトの商法の根本を揺るがす大企業になる可能性があるのはGoogle以外ありえないとまで言われているのにCFは見たこと無いわけです。こんなこと、初めてではないか?

林檎はいくらがんばっても窓の意図の中でしかもう生きていけない。仮に窓と林檎の位置が逆転したからといって何か大きく変わることがあるかと言えば、使っているパソコンのインターフェイスがちっとばかし違うだけであり、使っているソフトはアドビだったりするんだろう?安くて移行が簡単ならすぐにでも入れ替わってしまったとしても不思議ではないし消費者にとってはなんら大きな問題は無いだろう? やづやがいつの間にかブルベリアイアイになったとしても消費者にとってはどうでもいいだろう?

"林檎"も"窓"も"やづや"も同じ図式の中で経済の一端を担っているだけなのだから。

ではGoogle は何?
Googleが儲かった時、TVは儲かりません。広告代理店も儲かりません。大滝秀治さんも儲かりません。儲かるのはGoogleだけ、という構図を作り上げたわけです。これは非常にばかげた大げさな物言いで言えば、今の資本主義社会を揺るがす新機軸(古いボキャブラで済まぬ)なわけだ。窓と林檎が入れ替わるのは想像できるがGoogleと入れかわりようは無い。

消費者はなんとなく便利さは享受しているけども、Googleが一体どうして儲けてきたのかよく分かっていないのが本当でしょう?。

Googleが世に出てきたとき、そのシンプルなTOP画面と、なんら広告染みていないユーザビリティに惚れた人は多かった。でも「なんでこれでやっていけるんだろう???」とも思ったはずだ。今はアドワーズやらなにやらでいくらでも儲かるんだろうな、と想像はつくけど、出てきた当時、いったいどうやって運営していたのか。不思議ではないか?

果たして、Google の当初のバックは何なのか?資金源はなんだったんだろう?いまやGoogle無しでマーケティング提案さえ出来ないわけで、その動向すべてが握られてしまった。そのバックがなんやらふかーーーい所にあったとしたら??

最近007シリーズの放映が多いですね。新作の宣伝のせだけども、よく見てます。

実はGoogleの資金源は世界の転覆を狙うあの「スペクター」とか(笑)と007チックな事考えてしまったあったかい冬。

メモリー

娘がDSのソフトを買ったんだが、そのメモリーカードの大きさを見て見て嫁は「こんな小さいのに4千円もするの?」と言った。さすが昭和の女だ。

たしかに「高いものほどでかくてすごい」というイメージがあったはずだったけど、いつから忘れてしまったんだろう。

ガタカ

最近いろんな意味で世の中に適合出来なくなっている自分を感じている俺ですが、みなさんお元気でしょうか。

銀行で硬貨を預けようとしたら機械が「がしょんがしょんがしょんがしょん」と音ばかり立てて何のアクションも起こさないから行員に文句言ったら「お客様、こんなものが混ざっていました」と'ボタン'を差し出されたり、

携帯で囲碁ゲームやってたら夢中になってしまい、電車を乗り過ごして、あわてて引き返したのはいいけど、今度は改札で「切符が無い(どっかに落としたらしい)」ことに気が付いて、逆方向から降りてきたにも関わらずどう言い訳しようか散々悩んだりな毎日だ。

適合。 不適合。
世間では遺伝子操作(とまでいわないか。体外受精なのかい?)の話題が持ちきりのようだ。

いずれ私の大好きなSF映画「ガタカ」のような世界になるんだろうか。


心情的には遺伝子操作なんて反対だ!だけど、その場にいたらどうなのか。あと100万出せばお子さんのIQは100のところが110になりますよ、と言われたら、親としてどう対処できるのか。

実は映画ガタカの未公開シーンではお値段についての交渉場面もあるのだ。これが入っていたら公開に際して色々もめたと思うぞ。

「ガタカ」では、(科学の子に対して)「神の子」 は非合理的であり、被差別語となってしまっていると解釈できる。

金メダルを取るべくして生まれ(おそらく)最高の教育を受けた(のだろう)が銀にしか届かなかったゆえに自殺を図り、しかも失敗して足を不自由にしてしまい自堕落な生活を送るジェロームを演じるジュード・ロウと、神の子であり、結果として遺伝子不適合者でありながら宇宙飛行士を夢見てジェロームに成りすますビンセントを演じるイーサンホーク。今こそもう一度この映画を見てよくよく考えてほしい。いい映画だよ。

ヒーローになりたいと思う人は多いと思うけど、ヒーローの息子になりたいと思う人はあまりいないと思うよ。世にいる2世の方々を思い浮かべて見ればわかるだろう。子供さんたちのプレッシャーはいかなるものか。

ましてや親はたいしたこたぁねーのに、科学の力で期待ばかりか金までかけられた子供はいってーどうすりゃいいのか。

やっぱどうひっくり返ったって子供はおしなべて永遠に神の子であるべきだと思う。


電卓

2歳の息子がよく嫁の電卓で遊んでいる。数字を打っては"クリア"を押してまた打つの繰り返し。

思えば、うちに電卓なるものが存在したのは小学校3年か4年くらいだった。緑色のLEDでデジタル表示される、それはもう「これこそ21世紀!という感じだった。やたらとおもちゃにできる代物ではなかった。

大学生の頃、ヨドバシカメラの店頭で電卓が「100円」で売られているのを見て、思わず感動してしまい、使いもしないのに買ってしまった情けない過去を思い出してしまった。


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関係ないけど、そろそろこのデザインも飽きてきたのでリニューアルしようかブログにしようか迷ってます。

年賀状の季節が終わった。

毎年いろいろ図柄には凝る方ではあるが、書いてていつも悩ましいのは『一行挨拶』だ。

「何か手書きで書いてあるのと無いのでは全く印象が違う」とよく言われる所ではある。

しかるに、かならずどこかしらに少しだけ文章が書けるようなスペースを作るよう印刷しておくものだ。

で、刷り終わった年賀状を前にして、あて先別に「一行挨拶」を書くわけだけれど、これが非常に難しい。そう思っているのは私だけではあるまい。かといって、何も書かずに出すのもなんだか年賀状を書いた気分にならないものだ。

あけましておめでとう!!お元気ですか?。

「実は元気じゃねーんだよ」と言われたら怖いんだが、今年もこれが一番多かった。だいたい「あけましておめでとう」なんてものは『印刷している』じゃねーか。にもかかわらずつい書いてしまう俺って何。

次いで

また飲みにいきましょう とか 今年こそはマージャンやりましょう あたりが定番となっている。毎年こんなだ。だったらいっそこの文章も印刷しちまえよ、と思うが、ここで「冷静に」考えてみると非常に情けない年の初めの挨拶だ。俺って人間は 40うん年何やってきのかと。日ごろくだらないことはここに書いているくせに、年賀状ごときでボキャブラリーの無さを痛感させられ、反省至極である。だったら書かなきゃ良いのに

で、頂いた年賀状を眺めてみる。・・・まぁだいたいがラベルが一緒であり安心した。そりゃそうだ。私のような人間の友人であるわけだから、(以下自粛。失礼いたしました。。。年賀状ありがとうございますありがとうございます)

閑話休題、今年の一言挨拶で一際輝いていた文章を選んでみた。年賀状一言挨拶大賞。学生時代の友人からの一通にしたためられていたお言葉。

老眼鏡を買いました。

・・・いかん、涙が出てきた。

図柄がきれいな印刷を犠牲にしてまで殴り書きされたこの至宝の言の葉。

近況報告にのみとどまらない、私も同世代であるが故に感じ取ることの出来る哀愁。

そして読んだ刹那思い浮かぶ老眼鏡をかけた彼の姿。

七五の短い調べにこれほどの深みさらっと書き流す感性・・・・・。

学生の頃から一味違う男であったが、やはり彼は数ランク私より上だ。来年も楽しみにしています。